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July 2007

ゴースト・ハウス

Gost シカゴからノース・ダコタの農場に引っ越してきたソロモン一家。父はここでのヒマワリ栽培に再起を賭ける一方、バラバラになった家族の心をひとつにしようとしていた。すべてが順調に行くかに見えたある日、長女ジェスの周りでは怪現象が起こり始める。

 この季節、涼しくなるかはさておき、なぜか観てしまうホラー映画。この作品はタイトルもずばり幽霊屋敷なわけで、怨念が摂りついた家でのさまざまな怪現象を見ることになる。いかにもといった古い家、開かない扉に暗い地下室、前の住人の謎めいた痕跡など、定番のような恐怖心をあおる要素がいっぱいだ。派手な演出が印象に残る洋画ホラーも、昔とは恐怖の質は違ってきたようだ。昨今のジャパニーズホラーの影響なのかと思いつつ見ていると、派手なポルターガイスト現象なども織り交ぜて、いまどきの映像表現で二つの恐怖を体験できるのである。
 もちろん恐怖を味わう作品とはいえ、ストーリーも大切な部分である。ソロモン一家は、かつて問題を起こした娘ジェスによって、家族の絆は崩壊寸前。互いに信頼することができなくなっている。そこで、すべてをやり直すための田舎暮らしである。しかし、問題児のジェスにしか見えない怪現象に(幼い弟にも見えるが)、家族の信頼は揺らいでしまう。それでも、友人とともに前の住人の謎を解き明かしてゆくジェス。怖いおもいをしても、やはり信頼されることが大切なのだろう。何が怖いか?ここで怖いのは人間のほうだったりするのかも。家族にも信頼されないことではないだろうか。前の住人と重なる家族の問題に意味を見出せるわけで、やがて謎が明らかになったとき、再び絆を取り戻すことができた。すべては丸く収まる感動ストーリーになるはずが・・・何か引っ掛かる。
 振り返ってみればゴーストの目的は何なのか?ただ脅かしたいだけのよう。そういう作品ではあるが、なにもソロモン一家を脅かさなくてもよいのでは?恐怖を見せる作品といえど、感動できるかは緻密なストーリーがあってのもの、怖さも半減してしまいそうだ。


ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

Harry ハリーの語る闇の魔法使いの復活に、魔法省はダンブルドアを訝しがり、学校にお目付役の教師を送り込んだ。しかし、彼女が教える防衛術では闇の魔法には対抗できない。危機感を抱いたハリーたちは、信じる生徒に防衛術を教え“ダンブルドア軍団”を結成する。

 現代の魔法使い“ハリー・ポッター”の成長を描いた作品も、はや5作目。上級生となり、もう子供ではないのだろう。今回は大人たちの理屈に反抗し、自分の意見を語り、集う仲間に魔法を教えている。そう、来たる決戦にむけて自覚を持ちはじめた。物語も核心へと近づき、シリアスな内容へと移ってきたようだ。シリーズを通して見てきたハリーの成長に、今後どういった真実が明らかになるのか気になる。
 それにしても、長らく続くこのシリーズの面白さは、よくある学園生活を映しているようで共感できるところだろう。今回ひと騒動起こすことになるのは、魔法省の教育改革といえるもの。それは大人の都合でしかなく、政治の世界も皮肉る。危機が迫っても現実から目を背けようとする魔法大臣に、魔法省の方針を押し付ける教師である。だいぶ大人の世界を描いているが、子供の視点から見れば単純なものだろうか。ここで魔法省から送り込まれた教師アンブリッジは、乱れた風紀を正し厳しい罰を科す。いわゆる不条理な校則に体罰という、どこか経験したことがあるような物語は、とても身近な話題に思えるものだ。
 そして、これまでバックグラウンドのストーリーであったヴォルデモートの復活話が表に出てきた。対抗する組織『不死鳥の騎士団』の存在も明らかになって、戦いへの備えもできつつあるようす。ゆえにヴォルデモート軍との対決シーンなど、映像としても大きな見どころとなっている。しかし、まだまだ成長途中のハリーでは敵わないわけで、ダンブルドアたちの力で退けることに。それでも闇の魔法に立ち向かうため、孤立しかけたハリーが友情を取り戻すというドラマとしての見どころもあり、また一つ成長しているのだろう。
 もっとも謎は残したまま、当然だが結論は先延ばしといった印象が歯がゆい。あと2作でどういった結末を迎えるのか?もはや原作と一体となって感じられる物語に、新作を読むべきか悩むところ。何か大きな仕掛けを期待したいところだ。

ゾディアック

Zod 自ら犯した殺人の詳細と、謎めいた暗号が新聞社に送りつけられた。ゾディアックと名乗る犯人を、新聞記者エイブリーと2人の刑事が調査を進めるものの事件は迷宮入り。暗号解読にはまる漫画家グレイスミスは、その後も事件を追い続け真相に迫ってゆく。

 実在の事件を基に描いたサスペンス作品。事件の発端は1969年のこと、多くの証拠品がありながら未解決だという。メディアを巧みに使った劇場型の犯罪に、捜査は翻弄されることなる。サスペンス作品としては、送りつけられた暗号文に手がかりがあるのではと思うわけで、謎解きを期待するところ。しかし、謎は深まるばかりで曖昧なようだ。もっとも、実際の事件もいまだ二通目の暗号は解かれていない。そもそも、暗号には意味などないのだろうか。暗号を新聞に載せたことにより、人々の注目を集め、模倣犯を生み出すことにもなった。
 物語としては犯人の視点は無いわけで、事件を調査する者たちのドラマが見どころだろう。事件を追いかける4人と犯人の駆け引きは、緊迫したサスペンスとして見ごたえがある。しかし、結論のでないストーリーでは盛り上がりに欠けるようだ。描かれるのは事件によって翻弄される彼らであり、人生までも翻弄されてしまう。チャンスとばかりに事件を追いかける新聞社の記者のエイブリー。暗号解読からしだいに事件に興味を抱くグレイスミス。それに担当刑事二人も捜査に没頭してゆく。しかし、長期化する捜査に、関わった者たちは挫折し、キャリアを失い、あるいは体を壊す者も。グレイスミスも、事件に没頭するあまり家庭が壊れてゆくことに。犯人を追うなかで、広域犯罪での所轄の問題も見えてくる。それゆえ、後にグレイスミスが自由に調査し、新たな手がかりを見つけるあたり皮肉なものだ。
 それにしても、犯人が望んだように事件は映画になってしまった。もしや、この映画を、犯人も観ているのだろうか。これを機に暗号が解かれるなら、その内容はとても気になるものだ。ゾディアックが再び現れなければよいのだが。

憑神

Tsuki 将軍の影武者を務める名家の子孫も、平和な世では職を失った。下級武士の彦四郎は、ついに婿養子の縁も切られてしまう。他人に勧められ神社で出世を祈願するものの、稲荷の場所を違えた彦四郎は、次々と災いの神にとりつかれることに。

 浅田次郎原作の時代小説を映画化。コミカルな物語のなかにも、時代の節目に生きる武士の姿を描く。この物語の発端となるのは、人が物事に行き詰ったとき、おおかたするであろう神頼みである。主人公の彦四郎は、同期の者が出世してもうだつが上がらず、離縁されたばかり。神頼みしたくなるのもわかるが、その前にすることもあるのではないか。ただ、幸運を待っているだけのようで、少々醒めているようだ。うまい話があるわけもなく、酔った勢いで災いの神に手を合わせる。神の言うとおり、確かに手を合わせたのが悪いかもしれない。
 願い事を頼まれる側からすれば、まったく身勝手なものだろう。間違えた者に憑くのも神らしからぬが、ここでの災いの神は、神には見えぬ姿である。まんま人の姿をした、呉服問屋の主人であり、力士であり、子供の姿で現れる。それでも貧乏神に厄病神、死神では憑かれるわけにはいかない。なんとか憑神を払いたい彦四郎と、次々と訪れる3人の災いの神たちとのやりとりが笑いを誘う。もっとも、彦四郎を取り巻く者たちのほうが、憑かれるにふさわしい。災いの神に同情されるほどの境遇の彦四郎を通して、成すべきことを忘れた者たちを風刺的に描いている。笑いの場面に気を取られてしまうが、それぞれの神とのエピソードは深いものがある。結局、神に憑かれなくとも、自ら招いた災いではなかっただろうか。おのずと訪れることなのかもしれない。
 結局、災いをどう受け止めるかは、心の持ちようでしかない。災いが訪れ、大切なものに気づくことにもなった。幕末の動乱のなか、生きる意味を悟り、武士の本懐を遂げようとする彦四郎。運命を受け入れたのか?いや、自ら運命を決めたのだろう。結果として、災い転じてとはいかないものの、収まるところに収まったようだ。災いの神とはいえ、神の成す業であろう。できれば憑かれたくはないものだが・・・。

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