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June 2007

ダイ・ハード4.0

Dai 独立記念日の前夜、あるハッカーの護送を頼まれたマクレーン。しかし、武装集団の襲撃をうけ、またしても事件に巻き込まれてしまった。やがてサイバー・テロにより都市機能が麻痺、全米がパニックに陥ってしまう。テロリストに追われながら、事件の核心にせまる。

 ついに不運な男が帰ってきた。ブルース・ウィリスの代表作もついに4作目。期待されながらも前作からはかなり経ってしまった。久しぶりのマクレーンはさすがに年を重ねた印象だ。毛がない・・・だけでなく、妻とは離婚し、大学生となった娘とも絶縁状態と不運は続いているようす。時の流れを感じさせるものの、それでも復活したヒーローは健在だった。題名にもなっているハードなアクションは、前作以上にスケールアップして魅せる。カーアクションからヘリに追われ、果てはF35戦闘機にまで追われるなど相当ハードだ。ありえないアクションに突っ込みを入れたくもなるが、これがダイ・ハードの面白さかも。
今回、もはや時代遅れのアナログおやじが対決するのは、サイバー・テロをしかけるテロリスト。ネットワーク化されたインフラを乗っ取るという、現代の新たな脅威は映像的にもリアルだ。電話さえ通じない状況では、都市機能も政府の機能も完全に麻痺してしまう。そこに犯人の狙いもあるわけで、こうなると不死身のマクレーンでも辛いところ。でも、今回は心強い(?)相棒をともなって戦うことに。護送中に襲撃され、ともに逃げることになるハッカーのマット。体は頼りなくとも頭脳は優秀、これが今風のヒーローかもしれない。力技と頭脳のコンビという面白い組み合わせで、場当たり的な活躍が見もの。そういえば、マクレーンの娘も登場して父親譲りの無鉄砲さを見せている。やはり不運の持ち主のようだ。アクションにドラマ部分は霞んでしまったものの、この父娘コンビも面白そうで、新たな展開を期待してしまう。
 今回の事件は独立記念日の出来事。いつかまた、何かの記念日には事件が起こるのだろうか。ここまで痛快な作品も少ないだけに、まだまだ彼の活躍、いや・・不運を見せてほしいものだ。

プレステージ

Pres 19世紀末のロンドン。互いに名声をかけ競い合う、人気奇術師アンジャーとボーデン。アンジャーは、かつて脱出マジックの失敗による妻の死に、原因はボーデンにあるとして復讐を誓う。一方のボーデンもアンジャーに恨みを抱き、傷つけあうことに。

 二人のマジシャンが競い合い、憎しみ合うなかで、究極のマジックを作り上げる物語。マジックを題材にした不思議な物語は、それ自体が幾重にも仕掛けられたマジックのよう。映画としては、技術を競い合うというエンターテイメントとしての映像は面白い。そして、アンジャー殺しの罪でボーデンが裁かれるというサスペンスの要素、さらにはSFも加えた作品はなんとも表現しがたいもの。現実と虚像が入り乱れ、騙しあう世界。もっとも、これがマジックの世界そのものかもしれない。
 危険な脱出マジックの失敗が、二人にとって悲劇のはじまり、復讐の応酬は互いのタネを潰しあうことになる。タネあかしは観ていて面白いが、笑えないくらいにエスカレートしてゆくのは、いささか赦されないのではないだろうか。
 ここでマジックの極意として示されるのは、相手を欺くためには、常に真の姿を見せないことだという。もっとも、最後に明らかとなるものの、二人はまったく似たもの同士、極意を極めているようだ。
やがて二人が競い合うことになる究極のマジック、それは瞬間移動。タネを明かせば単純な仕掛けであっても、それゆえにわからないもの。劇中にも、よく見れば随所に見られるタネあかしの伏線に、その結末は暗示されている。結局、タネを明かすまで互いにわからない。もっとも、アンジャーがたどり着いた瞬間移動は、もはや科学。いや、本当のマジックである。かなり飛躍してしまうストーリーは理解に苦しむところも。ラストも含めて謎は深まっている。はたして最後に残ったのは誰なのか。回想するような物語は、時間軸がわかりにくかったが、観る側もすでに騙されているのだろうか。
 観る者には奇跡を起こす魔法のように、プレステージ(偉業)として喝采を浴びる。しかし、彼らの魔法ははじめからそこにあるもの。そこにあるモノを生み出すのは人であって、それこそ偉業ではないのだろうか。

そのときは彼によろしく

Kareni 観賞用の水草ショップを営む智史のもとに、ひとりの女性が尋ねてきた。彼女が人気モデルで、それが離ればなれになった幼なじみの花梨だったことを知る。再会を喜ぶ2人に、もうひとりの親友、佑司の行方が知らされた。しかし、運命は哀しい現実を突きつける。

 市川拓司の恋愛小説を映画化。幼なじみの3人の再会がもたらす、奇跡を描いた不思議な物語である。家庭の事情から離ればなれになった、3人の13年ぶりの再会は哀しいもの。きっかけは、雑誌に載った智史の水草ショップの記事から。しかし、祐司の所在を知らせたのは事故の知らせである。人の深いつながりは、物理では説明のつかないめぐり合わせをもたらすのだろうか。
 劇中では昏睡状態となった祐司と再会を果たすものの、目覚めた祐司と入れ替わるように眠りについてしまう花梨。運命は皮肉にも、3人の出会いを拒んでいるかのよう。ここで描かれるのは哀しく、そして一途な恋愛だろう。花梨は、しだいに眠りが深くなり、やがて死んでしまうという難病を抱えている。人づてに伝える「そのときは彼によろしく」の別れのフレーズは、なんとも悲しい響きのよう。
 互いに気持ちを伝えられないまま訪れた無期限の別れに、眠りから覚めるのを待ち続ける智史。病によって隔てられた、切ない男女の愛が描き出される。50年も休眠するというオニバスの種と重ねられ、時間の長さが感じられた。
 3人は夢を実現させるため、別々の道を歩んできた。例えるならば、花梨が大切にしているプリズム。そこを通った光のように、けして交わることのない日々。それでも、無意識のなか繋がる心は、不思議な巡り会わせをもたらした。残した想いがあるならば、それは原点へと還る道しるべとなるのだろう。そのときは、奇跡が起こるかもしれない。

ザ・シューター 極大射程

Kyokudai かつての任務で相棒を亡くし、今は人を避けて一人静かに暮らす元海兵隊のスワガー。彼のもとに狙撃の腕を見込んで、大統領暗殺計画を防ぐよう依頼がきた。しかし、大統領の傍にいた要人が射殺され、現場にいたスワガーは犯人として追われることに。

 スティーヴン・ハンターのベストセラー小説「極大射程」を映画化。原作は2000年度「このミステリーがすごい!」で一位だったとか。先の読めない展開を期待するところ、映画作品としてはミステリーというよりも痛快なアクション映画のようである。ケネディ暗殺事件をモチーフにした陰謀モノの作品であり、スナイパーの描写にはリアリティーがある。
 陰謀に巻き込まれながら、過去のトラウマを乗り越えようとする主人公スワガー。超一流の狙撃の腕前ながら、相棒を失った心の傷を引きずっている。それでも心の底にある愛国心から、過去の失敗を払拭すべく任務を引き受ける。そんな彼が罠にはめられてしまうという、なんとも救われない現代の闇を描いている。孤独な戦いはヒーローの常でもあり、彼のライフルは見えない悪を撃ち抜くことができるのだろうか。
 もはや彼の敵は合衆国、その中に潜む悪しき者たちである。自分以外は敵となった状況をどう覆すのか見どころ。とはいえ、シリアスなストーリーの中にも、成り行きから行動を共にする、少しドジなFBI捜査官とのコンビが誕生している。激しい銃撃戦のなかの笑える要素には、お気楽に楽しめる。
 もっとも、ストーリーはもとより悪人を撃つ、撃つ!倒す!の展開に、陰謀などどうでもよいようで痛快。法に従うスワガーだったが、黒幕は法では裁けない。そこで力の制裁を下すあたり、ダークなヒーローだろう。今作は復讐に燃えるヒーローの誕生ストーリーといったところ、トラウマも乗り越えた。小説ではスワガーを主人公にした物語が続いているようで、もしや、続編の映画化もあるのだろうか。痛快なアクションも楽しめたが、できればミステリー作品として見たいところだ。


300 スリーハンドレッド

300 紀元前480年、大帝国ペルシアがギリシアへ侵攻を始めた。同盟国が開戦を渋るなか、スパルタの王・レオニダスは、降伏をせまる使者を殺し開戦を決意する。彼のもとに集ったわずか300人の兵士を率いて、100万人のペルシア軍との戦いがはじまる。

 史実をもとに描かれた、フランク・ミラーの原作劇画を映像化。斬新な映像表現による、劇画を見るようなスタイリッシュなアクションが見どころ。飛び散る血に切り倒される兵士といった生々しい描写も衝撃的だ。その中に浮かび上がるのは、レオニダスを演じる主演のジェラルド・バトラーをはじめ、スパルタ兵の鍛え上げられた肉体美。見とれてしまうほどに、男たちはただただカッコいい。ただし、見せる映像ゆえにドラマは少なく、戦闘シーンばかりが強調されているのが気になるところだ。
 ここで描かれる戦いは、ペルシア軍100万、対スパルタ兵300人という、伝説化されたテルモビュライの戦い。実際のことか定かではないが、こうして映像としてみると圧巻。圧倒的な戦力差は歴然で、これでは勝てるわけがない。いや、対峙しただけで戦意喪失してしまうのではないかと思える。それでも戦いに挑むという行為に、護るべきものの存在を意識すれば、はるか昔の話にもどこか共感できるのではないだろうか。
もっとも劇中でくりかえし叫ばれるのは、自由の為の戦い、民主主義を守る戦いということである。当時のスパルタが民主主義だったのか歴史家の解釈にまかせるしかないが、映画作品として見れば、この戦いは現代にも重なってくる。大国の圧倒的な戦力、兵器をもってしても、戦略なくして戦いには勝利できない。小国にしても、力だけで解決することはかなわず、政治の力が必要だ。そして、裏切りや買収など政治の影の部分も見えてくる。
 結果として戦闘に破れるものの、勇敢に戦ったレオニダスたち300人。後世に名を残すのだから、その戦いには意味を見出せるだろう。裏を返せば意味のない戦いには価値はない。彼らは、ある意味では勝者かもしれない。


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