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December 2006

エラゴン/遺志を継ぐ者

Erag 森の中で光を放つ不思議な石を見つけた少年・エラゴン。それは“ドラゴンの卵”だった。卵からかえった“サフィラ”を密かに育てる彼に、邪悪な王の使者が迫る。運命の出会いは、伝説のドラゴン・ライダーの復活となるのか・・・。

 次々と映画化されるファンタジー作品、内容もさることながら不思議な映像は大いに夢をみさせてくれるものだ。この作品の原作は3部からなる物語、第一章として冒険のはじまりを描く。映画作品としても序章といえる内容で、ファンタジーの定番といった趣である。それは、エルフにドワーフといった馴染みの種族が登場し、主人公エラゴンの成長を描いた物語である。シンプルなストーリーは痛快で好感がもてる。もちろんドラゴンに魔法など映画ならではの表現は見どころであり、剣と魔法のファンタジーの世界を堪能させてくれる。それにしても、物語では悪役になることの多いドラゴン。ここでの“サフィラ”は心優しい(?)レディ(??)である。勇者としてまだまだ未熟なエラゴンゆえに、2人の交流と今後のレベルアップ(いや成長)に期待してしまうものだ。また、王への抵抗勢力であるエルフの王女、その他のキャラも今後の展開への余韻をのこしている。冒険はまだ始まったばかり、物足りなさは致し方ないが次の展開に期待できそうだ。
 このストーリーで面白いのは、ドラゴンとライダーは強い絆で結ばれていること。ドラゴンは選ばれたライダーの為に卵からかえるのだという。そしてドラゴンの魔力はライダーへ遷り、ライダーの死はドラゴンの死も意味する。互いの力が一つになったとき、強い力を発揮できる。それゆえに、かつてこの世界の平和を司ったドラゴン・ライダーたち。しかし、その力の使い方を誤れば、平和を脅かす力にもなってしまう。帝国を支配する王ガルバトリックスは、仲間を裏切ったドラゴン・ライダーでもある。強大なドラゴンの力を導くのは人の心であって、善と悪に導くのもまたしかり。現実の世界も同じだろうか、どこか風刺的にもみえる。その力をどう使うのか?成長途上のエラゴンが導く世界はどう変わるのか、次回が気になる。

硫黄島からの手紙

Ioujima 太平洋戦争の末期、硫黄島では米軍との戦闘が迫っていた。その頃、島に新しい指揮官として陸軍中将の栗林が着任する。やがて本土からの補給も支援も途絶えるなか、自決しようとする兵士に、生きて戦うことの意味を説く。

 クリント・イーストウッド監督による「硫黄島」を舞台にした作品。2作目は前作『父親たちの星条旗』とは対照に、日本人キャストによる日本の立場を再現するドラマとなった。緻密なリサーチの結果なのだろう、丁寧な描写に日本で作られた作品のように思える。そして、戦争を双方の立場で描くという試みは興味深く、前作とリンクしたエピソードに、同じ出来事の二面性が際立つ。そのなかにも、物語は一般の兵士である西郷(二宮和也)と、指揮官の栗林(渡辺謙)を通して描かれている。栗林の従来とは違う戦術に反発する将校たち。戦争を醒めた目で見ている西郷たち兵士。同じ立場でもそれぞれ戦争の捉え方は違っている。前作同様に当時の実情を物語っているようだ。第三者の視点が感じられるが、一つの見方では語れないものだろう。
 不利な戦況で最後まで戦うことを説く栗林。そして最後まで戦う西郷。彼らは家族に手紙をしたためる普通の父親である。家族への想いは変わらず、それは日米双方の兵士にとっても同じこと。一人の兵士の立場を見れば、二つの作品が重なってくる。それでも一つに描けないのは戦争の現実ではないだろうか。どちらが正しいなどといえず、大きな流れに成す術はない。そんな兵士の思いには目を逸らさずに受け止めたいものだ。
 過ぎ去った歴史ではあるが、戦ったのは父親たち、そのまた父親たちである。60年を過ぎた今、彼らの思いが無駄にならぬよう、歴史に学ぶ必要があるのではないだろうか。もっとも、戦争の傷跡はこの島に残り続ける。彼らの残したメッセージとともに、いつまでも残したい作品である。

007 カジノ・ロワイヤル

Casino 英国の諜報機関MI-6で“00”要員になったジェームズ・ボンド。彼はテロリストの資金源を追いかける。たどりついたカジノで、組織のボス“ル・シッフル”に高額を賭けたポーカーを挑むことに。

 お馴染みのテーマ曲とともにジェームズ・ボンドが帰ってきた。毎回、趣向を凝らした良い意味でのマンネリズムが心地よい。何所を舞台に、何を壊し、誰と恋するのか。何か人情物や怪獣物に通じるところかも。シリーズ作品もすでに21作目、6代目となるボンド役にはダニエル・クレイグが扮する。いつものことながら歴代ボンドと比較されるわけで、注目のダニエル・ボンドはどうかといえば、意外にも初代のイメージに重なっているようだ。鍛え上げた体も披露して、肉体派のアクションには期待できそう。もっとも、今回は原作小説では最初のエピソードでもあり、“00”へ昇格した頃の若きボンドを描いている。訳あって今回の映画化でもあり、やっとシリーズが補完された感じだろうか。時代背景が過去の作品に合わないのはご愛嬌だが、アストンマーチンに、お約束のアイテムの数々が昔の作品を連想させる。それゆえにミサイルもハイテクもないわけで、Qの秘密兵器も見たいところだが、今回の出番はない。
それでも見せ場は多く、冒頭からのノンストップアクションは見もの。生身のアクションが原点回帰を印象付ける。その分、少し中だるみにも思えるが、今回はカジノでの勝負もなかなか面白い展開。毒を盛られるのはタイムリー(?)さらにもう一つのお約束でもある、ボンドガールとの恋。政府の資金をカジノへ注ぎ込む作戦で、お目付け役として同行する財務局のヴェスパーとの恋。悲しい結末に、いつもとは違う人間味あるボンドの姿は印象的だ。本気の恋をしないのは、この出来事が影を落としているのだろうか。興味深いエピソードである。
 まだまだ続くことになりそうな、このシリーズ。人物像が一人歩きしているようにも見えるが、新生ボンドの活躍に新たなマンネリを期待したい。

武士の一分

Ichibun 下級武士の三村新之丞は、藩主の毒見役を務めて失明してしまう。奉公がかなわぬ身となったものの、家禄は召し上げられなかった。しかし、その影で妻が家禄を守ることと引き換えに、番頭の島田藤弥に弄ばれたことを知る。武士の一分をかけ果し合いに臨むことに。

 藤沢周平 原作の時代劇『たそがれ清兵衛』『隠し剣 鬼の爪』に続く3部作最後の作品。今回は木村拓哉が時代劇の初主演で注目される。役柄は盲目の剣士とはいえ、役者としてさすがに心得たもので無難にこなしている。ぎこちなさが、よい感じだったりするのだろうか。物語のほうは、果し合いという時代劇ではよくある話である。登場人物も少なく、少々盛り上がりに欠けるかもしれない。もっとも、原作は短編小説であってシンプルなストーリーだけに、そのまま映像にしたようだ。その分、光を失った三村新之丞の心の変化が読み取れる。他の登場人物についても心の内が見て取れるのは、見る側としても心を読み解こうとしているからだろうか。すっかり新之丞の立場になっているはず。そう思って観れば面白いものだ。
 新之丞は失明して武士としての務めができない。家禄を失うところを、妻が上士の島田に口添えを得ようとして、身を奉げてしまう。それを許せぬ新之丞は、加世に離縁を言い渡した。夫婦の絆を取り戻せるかといった部分は現代のドラマのようだ。そして新之丞は、目が見えない体での果し合いに挑むことに。緊迫した場面へとつながるわけで、決闘シーンは見ごたえがある。無謀な果し合いに命を賭ける理由は、武士の一分だという。武士として譲れないもの、許せないもの、たとえ命を懸けても守りたいもの。誰しも、ときに感じる釈然としない思いだろう。しかし、家禄をまもる為にした加世の不倫。それもまた一途な想いから。
 この作品では“一分”というものにスポットがあてられている。それは、自身の心。ときにはなによりも大切なものかもしれない。しかし、もっと大切なものに気づく。それは、自身への想い。どちらも心の成しえるもの。目には見えないものである。

プラダを着た悪魔

Prad ジャーナリスト志望でNYに来たアンディは、おしゃれなど興味のない女性。なぜか人気ファッション雑誌「RANWAY」のカリスマ編集長、ミランダのアシスタントに採用された。場違いな職場で奮闘するものの、ミランダのもと厳しい仕事に忙殺されてゆく。

 原作は同名のベストセラー小説。華やかなファッション業界のなかに飛び込んだ素人が、女性として、人間として成長してゆく姿が印象的。作者はヴォーグ誌の女性編集長のアシスタントを勤めていたという。実体験が元になっているのだろうか、職場の中で経験することもあるエピソードに、ときに笑え、うなずける場面もあるはず。それは立場上、ボスの理不尽な要求にも逆らえない。しかもミランダの要求はかなり厳しい。矢継ぎ早にだされる指示に、ひっきりなしに鳴る携帯電話。これでは、プライベートな時間などあるはずもない。やがて友人たちとの関係も壊れてゆくわけで、仕事と私生活、どちらが大切か?といった選択をせまられることにも。もちろん私生活は大切なもの、しかし、将来を夢見るならば究極の選択である。初めは彼女にしてみれば、興味のない仕事だったはず。しかし、ここで1年働ければどこでも通用すると聞き奮闘する。同僚が怪訝に思う冴えない姿が、ブランド物に身を包み華麗に変身してゆくさまは面白い。
 やがて仕事が上達したとき、この世界で生き抜くには、奇麗事ではすまないことも知る。実力のあるものが残るためには、ときに非情な決断も必要になるのだ。それは自身の夢を実現するためにも同じこと。最後は自ら進むべき道を選んだわけで、ミランダと決別することを決めた。ミランダが「私に似ている」というが、仕事に生きる女性の姿としては重なってみえる。
 はたしてアンディは元の生活に戻ったのだろうか?すでに彼女は変わっている。仕事をする女性として成長したはず。興味の無い者には意味のないファッション。はたして自身を着飾るものなのか、表現するものか?アンディは自分らしさを手に入れたのではないだろうか。

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