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November 2006

トゥモロー・ワールド

Tomo 子供が誕生しなくなった2027年の世界。セオは、別れた妻で今は地下組織のリーダーとなったジュリアンと再会した。目的は“通行証”、一人の少女をあるプロジェクトへ送る為と言う。その少女は、人類にとって18年ぶりの子供を宿していた。

 人類に子供が生まれなくなるという、ショッキングな未来を描く、P.D.ジェイムズ原作の『人類の子供たち』を映像化。暗い未来ばかりが描かれるS.Fの世界は、ニュースなどで時折報じられるような前兆に、あながちフィクションではない世界に思える。物語は冒頭で、18歳の人類最年少の少年が殺害された事件で始まる。この期に及んでも命が軽んじられる世界。そして、テロに戦争に暴動が各国でおこり、崩壊した国の難民が溢れている。しかし、こうなったのは子供が生まれないためではないのだろう。セオが語るように、すでに救えない世界なのだろうか。今の世界の延長にあるような物語である。

 未来を託されたセオは、世界の行く末に興味のない男だった。しかし、ジュリアンの計画を知り、組織内の陰謀に巻き込まれることに。セオは少女を連れて逃走する。ジュリアンの計画どおり、少女を世界組織《ヒューマン・プロジェクト》へ届けるために…。ここでの二人の過去は、なにやら訳ありらしいがあまり語られていない。セオが命をかける理由がわかれば、もっと深い物語になったのではないだろうか。

 希望のない世界に子供が生まれたなら、世界はどう変わるのだろう。結論は示されていない。ヒューマン・プロジェクトがなにものか分からず、少女が妊娠できた理由もわからないまま、はたして人類の救済はできたのかは曖昧だ。映像のリアルさに比べてストーリーは物足りない。どういった未来が訪れるのか、リアルにシミュレートしてほしいと思える。劇中では、荒廃した世界の中に微かな希望が描かれている。人々が命の尊さを感じるのなら、まだ救いはあるのだろう。もっとも、未来が戦争や環境破壊で崩壊寸前だとしたら・・・。それは、子供にとって生まれたくない世界ではないだろうか。

 

氷の微笑2

Basic_in 自動車事故を起こした美ぼうの作家、キャサリン・トラメル。同乗者の不可解な死に、殺人の容疑がかけられた。しかし、警察の追及も巧みにかわし、鑑定を依頼された精神医マイケルも、次第に彼女の魅惑に引き込まれてゆくことに。

 魔性の女の危険なゲームが再び。前作からは14年も経ってしまったが、もちろんキャサリンを演じるのはシャロン・ストーン。そういうわけで、注目されるのは年齢的なことだったりする。そのあたり心配には及ばず、相変わらずの悪女ぶりも健在だ。それはさておき、よくできたストーリーに、サスペンスものとして楽しめるのは確かだろう。
 今回は舞台をロンドンに移す。キャサリンの運転する車が、暴走した末にテムズ川に飛び込む事故が起きた。同乗者は死亡するが、薬物が検出されたことから彼女に殺人の容疑がかけられる。人気作家の事件に、一躍世間の注目をあびることとなった。担当刑事のウォッシュバーンは、彼女を有罪にするため精神鑑定を依頼することに。それは、今回のターゲットになる精神医のマイケル。将来を嘱望される理性的な人物だが、彼の患者が殺人事件を起こした過去を引きずる。そこから彼女に付け入る隙を与えることにも。マイケルを逆に分析してかえすあたり、隙のない駆け引きが絶妙である。次第に彼女に翻弄されることになるのは前作同様で、真実が見えなくなるという展開は面白くも、彼女の怖いところだろう。最後は小説のネタにされてしまうのだから堪らない。
 原題は「BASIC INSTINCT」本能といった意味である。性的な描写が刺激的ではあるが、人を疑うのもまた、本能だろうか。マイケルはキャサリンの嘘話に、真実の話をも信じられなくなる。やがて彼女の話にとどまらず、別れた妻や、刑事ウォッシュバーンをも疑いの目で見てしまうあたり、心理的な描写はリアルだろう。そういえばマイケルは過去に、信じた患者が事件を起こしている。物語は最後まで信じるか、信じないかでせめぎあうことに。はたして、人はどちらが基本なのか。自分を信じることはできないのだろうか。

デスノート the Last name

Note 死神がもたらした死のノート。それを手にした天才、夜神 月(らいと)によって犯罪者が殺され、キラとして恐れられる存在になった。捜査が迫るなか、巧妙に月が捜査本部へ入り込む。しかし、第二のキラが出現したことで、事件は新たな方向へ動き出した。

 「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ」ブラックなファンタジーで好評の前作から半年、これからという場面で途切れたストーリーは終演を迎える。ラストを早々に期待してしまうところ、第2のキラこと弥海砂の登場が新たな展開へ導く。前作では、月の緻密な策略と捜査官Lとの駆け引きが見どころだったが、今回は第2、第3のキラの登場に、少々駆け引きには疑問も残る。それゆえに計画が破綻してゆくわけで、窮地に陥る月。最後までどういったラストを迎えるのか予測できず、二転三転するあたりスリリングである。今回注目できるのは捜査官L、強烈な個性のキャラクターで印象的だ。前作とは役回りが逆転しているようで、少々笑えるキャラを強調しているが共感できる。シリアスさと笑いが絶妙なのは、実写ならでは。対して、前作では恋人も殺した月は、悪役になってしまったようだ、死神さえ手玉に取る月の非情さが正義を逸脱している。
 それにしても、このノートがあったなら、やはり正義の為に使うだろうか。弥海砂のように罪のない人さえ殺せるのなら凶器だ。人が人を裁くことの限界は感じるわけで、ルール(法律)もあるが、すべてが正義のためになるかは疑問ではある。そこでノートの力が必要か?未知の力が働くのなら別だが、人が介在するのなら、同じことではないだろうか。ここでは何でもありの殺人ノートのようだが、細かいルールが存在している。月とLとの勝負の行方は、そのルールをどう使うかが鍵。まるで言葉遊びの法律解釈のようでもあるが、現実も似たようなものかも。くれぐれも、ノートに名前を書かれないようにしたいものだ。

父親たちの星条旗

Sei 太平洋戦争の末期、本土攻略の要所となる硫黄島へ、米軍による戦闘が開始された。激しい戦いは一ヶ月あまり続くことに。そのなかで撮られた一枚の写真は、アメリカ国民の心を捉え、戦争を勝利に導いたといわれる。「硫黄島」での真実が今、語られる。

 硫黄島での激戦を、日本とアメリカ双方の視点で描く、クリント・イーストウッド監督による「硫黄島」2部作。まずはアメリカからみた作品である。この作品での主人公は、写真で有名な“星条旗を掲げた兵士たち”。多くの犠牲者を出した戦闘の後、衛生兵のドクと5人の海兵隊員は、擂鉢山の頂上に星条旗を掲げた。このとき撮られた写真が、長引く戦争に嫌気がさすアメリカ国民の心を一つにし、戦争を勝利に導いたといわれる。しかし、真実は・・・。
 英雄として称えられる写真の6人。しかし、帰還したのはドクを含めた3人だけだった。星条旗を掲げた後も戦闘は終わってはいない。写真の星条旗は2度目のものだったこと、入れ替わってしまった6人目の名前。真実は、覆われてしまう。さまざまな思惑から、都合よく宣伝に利用されてしまったのだ。画して戦時国債キャンペーンに駆り出されることになる。沸き立つ国民を前に、本当に称えられるべき者は誰なのか?戦場を見てきた彼らにとって、遺族との対面や、英雄としてもてはやされることのギャップに苦しむこととなる。口を閉ざした彼らの思いが伝わってくるが、今だからこそ語れる真実の物語なのである。それゆえ、硫黄島での物語よりも、帰国してからの3人が描かれているのは、視点がずれているようにも思える。それがアメリカの戦争の現実ということだろう。
 作品として、双方に多くの犠牲をだした戦闘の描写も生々しいが、裏話的な内容に、戦争の悲劇、現実を描き出しているのだろう。すべては茶番なのか。戦場の兵士と、離れた国民とのギャップが意味するものは何だろう。けして誇れる戦争などないのではないか。そう見れば、いつの時代もさほど変わってはいないのだと思えてくる。立場が違えば、兵士の思いも違うはず。何故、ここまで激しい戦いを強いたのか?国の立場も垣間見えるが、数千人の犠牲を伴った戦闘の意味は何だろう。一人の兵士が見た現実は、すべてを物語っているのではないだろうか。

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