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August 2006

たまには独り言2「消えてゆく劇場」

 近頃、地元にある映画館が休館した。気が付けば地元にはまったくなくなってしまった・・・。その反面、近隣の郊外にはシネコンがいくつもできたのでさほど困らないけど・・、とはいえ車で1時間程の距離では気軽に立ち寄ったりできないのはイタイ。

 どんな映画館だったかといえば、田舎町だからミニシアターといった感じではないし、狭い、汚い(趣がある?)臭い(言い過ぎか…)といった、昔ながらの映画館なのです。近くにあれば、ちょっと空いた時間、仕事帰りや日曜日の夕方とかで観るにはちょうどよかったりもした。しかも子供向けの作品がなければ、ほとんど客はいないしね。新作映画もシネコンが満員だったのに、こちらは貸切状態なんてこともしばしば。意外な穴場だった。夜なんて妙にひと気が無くて、ホラー映画を見るには恐怖倍増の効果も(?)。
でも、前々から客が減っているのは気付いていたのだが・・・。やはり自分でもあまり行ってなかったかも(反省・・・)
売店で買ったポポロンをほおばり、やけに甘い缶コーヒーを啜りながら鑑賞していたのが懐かしい。

 時代の流れと言ってしまえばそれまでなのだが、大きな劇場ではできないことをやってほしかったなあ。どうせ客がいないのだから(失礼かな)座席を広くして、どうせ他より公開が遅いのだから(やっぱりだめか・・)リバイバル上映など精力的にやってくれたなら、きっと観に行ったかな?個人的には復活を望みたい。もっとも、地元にシネコンがあれば問題なしかも・・・。
 
 過ぎてゆく時代を感じる今日この頃。殺風景になった劇場前を通るたび、昔に観た映画が妙に思い出されるものです。


ユナイテッド93

93 2001年9月11日、ユナイテッド93便を含む4機の旅客機はテロリストにハイジャックされた。犯人の目的がわからず戸惑う乗客たちだが、他の機が次々と目標に突入したことを知り決死の反抗を試みる。

 「9・11」世界を震撼させた航空機によるテロ事件、現場の惨劇を思えばたまらないが、当時は映像を見ても何処か現実離れした出来事のようにも思えたものだ。事件からすでに5年を経て、記憶の片隅に留められているといったところだろう。しかし、事件は終わらず、その後の世界を大きく変えてしまった。思えば過去から続く報復の連鎖を象徴する事件であり、誰の目にも明らかな悲劇的な5年間ではなかったのだろうか。
事件については、いまさらながら報道された映像や内容はわかっていても、その内側のエピソードについて多くは語られず、知られてはいなかった。当時の報道からも混乱した状況は伝わってきたが、航空管制や軍内部の混乱が時系列のなか事件とリンクしてゆくさまは、当時の記憶と重なって恐怖を懐かせる。そこにはドキュメンタリー風の映像に、余計なストーリーもない。それゆえ自らがそこに居合わせたようにリアルに感じられるものだ。映画作品としてこの時期に公開されるのは、事件に遭遇した当事者や関係者、遺族にとって辛いものであろう。見る者にとっては、忘れそうな思いを新たにしてくれるにちがいない。
 この映画で描かれているのはハイジャックされた4機の内、目標に到達しなかった1機“ユナイッテッド93便”である。なぜ目標に到達しなかったか?そこには乗客たちの決死の行動が明らかになってくるのだが、そのときの当事者たちに思いを馳せれば、やはりやりきれない思いだ。都合よく解釈される勇気や愛国心、そんなものではないような気がする。テロという理不尽な行為に対する、生きるという行為ではなかったのだろうか。この作品の中では、事件に一方的な見方はしていない。テロは許されない行為だが、ありのままを見せられて、そこにある狂気というものを感じずにはいられない。テロとは誰のために何を狙い何を成すのか?テロや戦争は、つねに正義の名の下に行われてきた。何が正義なのか?9・11以前、それ以降の世界に起きた出来事は正義なのか?
悲劇の当事者にとって、生きることを奪う行為に正義などあるのだろうか・・・。

スーパーマン リターンズ

Super 故郷を探す旅から5年ぶりに地球に戻ったスーパーマンは、想いを寄せていた女性ロイスが結婚して、母親となっていたことを知り愕然とする。そして宿敵であるレックス・ルーサーは出所し、あらたな野望と復讐を企てていた。

 ついにヒーローの代名詞“スーパーマン”が帰ってきた!とはいえ前作からは20年の歳月が流れてしまった。すでに懐かしの作品となっているだけに、今の時代にどんな活躍を魅せてくれるのだろうか。気になるのはブランドン・ラウス演じるスーパーマンである。えてして主演の交代では旧作のイメージに戸惑うところだが、まさにイメージのまま、クラーク・ケントもそのままに帰ってきた印象だ。これで失われた時間がつながったわけだが、劇中同様に「今、なぜスーパーマンは必要なのか?」。派手ないでたちのヒーローは、今の時代に何ができるのだろう。もっとも巷ではアメコミヒーローが、そしてダークなヒーローが活躍する昨今、理屈のいらない正統派ヒーローの登場はかえって新鮮かもしれない。もちろん現在の映像技術で描かれるスーパーマンの活躍は痛快、まさに旬のスーパーな活躍ぶりに、昔以上に昔に見た世代も楽しめるのだろう。
 それにしても彼のいない5年間、地球はどうなったのだろう。世界は彼を必要とはしていないのか・・・恋人ロイスもすでに母親となり、彼を必要とはしないのか。そんなはずはなく、世界は相変わらず事件や紛争を解決できずにいる。彼がいないことを幸いに・・・だろうか。今の世界には「本当の正義」、彼のような力が必要かもしれない。シャトルとジェット機を救い、野球場に降り立つ姿などはどこまでもアメリカ的だが・・・。そういった存在がいてほしいと待望するのは誰しも同じことだろう。物語としては、ロイスにとって重要な存在でもあることが明らかになる。ロイスの署名記事「なぜ世界はスーパーマンを必要としないか」の真意は気になるところだ。
 今回描かれるのは、世界の変化に戸惑いながらも正義を貫く孤独なヒーローの姿。宿敵ルーサーの出所という事態にいたり、危機的状況に陥った世界を救ったのは“鋼鉄の男”である。しかし、その影にあるのは父と子の物語だろう。ロイスの結婚も含めて深い愛情物語ではないだろうか。彼は、けして孤独ではなかったのだ、その後が妙に気になるが・・・。いつの時代でも,誰しも懐く「身近にいる理想のヒーロー」その存在は永遠なのだろう。

たまには独り言1「劇場での携帯電話」

 映画好きとしては劇場へ足を運ぶことが多いのですが、それゆえに気になることもいくつかあるので、今後、書き綴ってみたいと思います。

 やはり、昨今ほとんどの人は持っているであろう携帯電話、そのマナーは気になるところだ。携帯電話の使用は、たいがいの劇場では上映前にわざわざ注意しているにもかかわらず・・・である。
時々見かける光景では、さすがに着メロを鳴らすツワモノはいないが、メールがやたらと届くらしく、そのたびに開いて確認している。この間見かけた人などは10分に一度は確認していたようだ。隣や前方でやられると液晶の光、最近のものはかなり明るく結構目障り。それとパカパカと閉じる音、耳障りなものである。せっかくの観賞時間、映画の世界に浸りたいと思うのだが、妙に現実の世界を意識させられてしまうものだ。自分一人くらい大丈夫と思うのかもしれないが、これを何人もがすればかなり迷惑だろう。つられて確認してる人や時計の確認をしてる人、上映時間はわかっているだろうに・・(退屈な映画だったのかな?)
私の場合は切っておくか、マナーモード+ドライブモードにしておく。上映が終わってから確認、返信すれば済むこと。古いと言われそうだがメールや電話とはそんなものではないのかなー。その人にとってはよほど大切な用件なのかもしれないが・・・まあ、それなら映画を鑑賞している場合ではないとも思えるし、上映中にメールの返信なんて、そんなことをしていたらせっかくの映画を楽しめないじゃないですかねー。この人の日常はどんなふうだろうなどと勝手に想像してしまう。
そんなわけで、電話会社には劇場モードとか作ってもらえまいか「あと2時間は出られません」とかね・・・
便利なツールですし、使い方は人それぞれだから否定するものではないのですが、たまには2時間程度、雑多な日常から離れてもよいのではないでしょうか。

ゲド戦記

Gedo 島と海の世界“アースシー”ではさまざまな異変が起きていた。西の果てに棲む竜が人間の住む海で互いに争い。魔法使いは力を失い、疫病が流行りだす。災いの源を探る旅に出たハイタカ(ゲド)は、道中で国を捨てた王子アレンと出会い共に旅をすることに。

 有名なファンタジー小説がアニメ映画となった。そして宮崎吾郎の初監督作品とのこと、スタジオジブリの作品として「ハウルの動く城」に続いてのファンタジー世界を、どう表現するのか注目である。もっとも、その絵やキャラクターたちからジブリの作品ということは見て取れるのだが、物足りなさといえるのかも・・・やはり違った雰囲気が漂う。これまでの作品で目にしてきたデジタルな表現は控えめであり、お子様むけのキャラなど和める要素もないのは原作にストレートなのかもしれない。ジブリ作品として過去の作品と比較されそうだが、監督が違うのであれば作風の違いは当然として、その部分をあえて楽しみたい。
 物語は父を殺したという心の闇を持つアレンの物語。原作とは違うアレンの設定は、この映画作品としての核心部分なのだが、いかがなものかと思える。原作では三巻目で描かれていた魔法使い“クモ”との戦いをベースに、各巻の要素を盛り込んだ内容である。それでも途中のエピソードゆえに、その世界を理解するには説明不足だろう。アースシーは魔法使いや竜が存在する世界。かつて人間と竜が同じ種族であったということ、財産を持つことを選んだ人間、自由に生きることを選んだものが竜となったこと・・、この世界の成り立ちをわかって見られれば印象もまた違ってくる。それにしても、壮年期を過ぎたゲドは脇役のようにしか見えないのだが・・・。
ともあれ、ジブリの作品が大人も楽しませてくれるのは、現代の世相など風刺しているところだろう。ここで描かれるファンタジーの世界もわかりやすく現実世界を比喩している。警鐘的なメッセージも強く出ているのだが、最後の曖昧な終わり方は近頃の流行なのか?最後にこそ強いメッセージをなげてほしい気もする。それにしても気になるのはアレンの父殺し。現代人の心の闇を描いているようにも見えるが、どこか監督の父親への想いなのではと勘ぐってしまう。父へのあてつけ・・・いや、挑戦と受け止めるほうがよいのかも。同じ路線の作品は、はたして父を越えたのか?まだまだではないだろうか。同じ路線を継承するのか、独自の路線を打ち出すのか次回作が気になる。

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