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April 2006

Vフォー・ヴェンデッタ

Vfor_1 第3次大戦後、独裁国家となったイギリス。労働者階級のイヴィーは街の自警団に絡まれていたところを“V”と名乗る仮面の男に助けられる。圧政からの開放を謳う彼は次々とテロを決行するのだが・・・。その素顔、そして目的とは・・・

 ダークな近未来を描いた原作コミックを、スタイリッシュなアクションで映像化した作品である。舞台となるのは独裁政権下のイギリスという架空の未来。ヒーローが活躍するには絶好のシチュエーションだ。謎のテロリスト“Ⅴ”とは・・・400年前に処刑されたガイ・フォークスにちなんだ仮面姿、道化師のようなヒーローらしからぬいでたちの異色のキャラである。ちなみにガイ・フォークス・Dayとは、議事堂爆破による国家転覆が未遂に終わったことを祝う日(11月5日)なのだとか。知っていて観れば印象は違うかもしれない。教養豊かな紳士、そんな姿とは裏腹にナイフを華麗に操り、悪には容赦しないあたりギャップは面白い。ちょっと不気味なダークなヒーローに違いは無いのだろう。それにしても彼は主役ではないのだろうか?最後まで素顔をみせないのだ。役を演じるのはヒューゴ・ウィービングだったとは、言われなければわからないではないか。もっとも劇中、訳ありの過去が明らかになり、Vの意味するところも判るのだが。やはり映画作品としては詰め込みすぎなのだろうか。ストーリーが完結してスッキリするが、少々理解出来ない人間関係やエピソードが気にかかる。
 注目は映像というところだが、そのアクションはスタイリッシュなもの。爆破シーンにも美的なものを感じさせるあたり「マトリックス」のオシャウスキー兄弟の脚本/製作ということを意識させる。もう一つの注目はヒロインのイヴィー(ナタリー・ポートマン)の強い人間への成長が描かれる。それに絡めて描く“V”との交流、それは愛情なのか・・・。ガイ・フォークスから“V”へ、そしてイヴィーと受け継がれるスピリット。その他、主要な登場人物が伝えるものはなにか、見る側の解釈次第であってあいまいだ。はたしてVの目的は復讐なのか、革命であったのか・・・。現実の世界ではテロは許されないが、それは復讐なのか?400年の時を越え伝える精神、ガイ・フォークス・Dayの意味も少々違って感じられる。

リバティーン

Liber 17世紀の英国。卑猥な詩で政府を批判したことから国王の怒りを買い、追放されていたジョン・ウィルモットは恩赦を受けてロンドンに戻ってきた。相変わらずの立ち振舞いの彼だったが、芝居小屋の女優エリザベスとの出会いが心を乱すことに・・。

 放蕩詩人ジョン・ウィルモットこと第二代ロチェスター伯爵は、歴史に名を残す快楽主義者・・いや「最も自由を愛した人間」ということである。荒唐無稽、自由奔放に生きた彼の生涯を描く。性に対する考え方が発展した時代とはいえ、17世紀の昔にこんなハジケタ人物がいたのも滑稽であり、時代にそぐわない生き方に思える。そんな伯爵を演じるのはジョニー・デップ。いつもながら一癖ある役柄だが、毎回違った顔を見せてくれるのは魅力的だ。物語は卑猥で淫らなシーンで彩られ、少し嫌悪感を抱いてしまうのだが、ジョニー・デップの嫌味の無さに許せてしまうところではある。
 はたしてこの作品で描かれているものは・・。ロチェスターを通して描かれているのは「自由」。劇中のロチェスターは快楽を求め、体制には従わず反抗的。とらえどころの無い人物といったところだが、それは個人の自由なのだろうか。自己の自由のため、妻や周りの人たちを不幸にしているのではないか。そして自由の代償・・・愛を求めるがゆえに、他人の愛を受け入れてはいない。それでは自らの孤独を癒すことはかなわぬかも・・。身勝手な自由は、秩序やすべてを壊してゆく、最後は自らも壊れてゆくことに・・。放蕩のツケだろうか、病に侵される。それでも最後まで自由を貫く生き方しかできなかったロチェスター。自由の本質について語らずとも伝えているようだ。物語としては一人の男の生涯を描いただけでもあり、見かたによっては面白みはないのだが、どこか現代にも通じる物語である。反抗していた国王の窮地を救うあたり、最後まで自由に、そして自由のために生きたウィルモットの姿は印象的。宗教的な対立、自由について、今の世界を風刺しているともとれるが、本当の自由の意味を問いかけているようだ。まあ、当の本人にはどうでもよいことだったのかもしれないが、自由な今の時代にこそ意味ある教訓にうつる。

タイフーン TYPHOON

Typh 米軍が極秘に輸送中の兵器が海賊に奪われた。海軍将校のセジョンは極秘の捜査を命じられるが、やがてシンという男が兵器を利用して朝鮮半島壊滅を企てていることが明らかに・・・。シンには、かつて北朝鮮からの亡命を拒まれ両親を殺された過去があった。

 昨今、恋愛ものが目立つ韓国映画だが、久しぶりにアクション満載の作品である。韓流には何処か重い雰囲気があって好みが分かれるところだが、ハリウッド映画のような展開と舞台がロシアといった国外の為か、韓国映画ということを意識せずに観ることができた。ノンストップのストーリー展開にも引き付けられる。それゆえにどこかで見たような・・・場面も多いのだが、それはそれで楽しめるところだろう。手に汗握るシーンの連続に見入ってしまった。
 キャストは、チャン・ドンゴンが復讐に燃える男シンを熱演、対照に冷静な捜査官セジョンをイ・ジョンジェが演じる。二人の対比がシンの激しい怒りを強調し、駆け引きが緊張感を生み出す。最後は二人とも熱い戦いを繰り広げるのだが・・。ドンゴンの悪役としての切れっぷりはファン必見の出来であり、悲壮感を漂わすカッコいい悪役である。物語は、互いに背負うもの、その想いが交錯してやがて友情に似た感情が芽ばえる。それは違う世界に生きてきた二人の出会い。日の当たらぬ世界を生きるシンと、捜査の為、非合法な任務に身を投じるセジョン。運命に翻弄されたシンの怒りと、受け止めようとするセジョンである。立場は違っても平穏な世界に必要な犠牲であったというのだろうか。悲しい結末に希望を見出せたかは、見る側しだいといったところかもしれない。世界を巻き込んだ陰謀劇に間延びした部分もあるが、中身が濃い・・まあ詰め込みすぎともいえるが・・。テーマとしてはかなり重みがあるのに、アクション映画にしてしまうあたり大胆だ。
娯楽作としてみるにはテーマは重く、悲しく切ない。虚しさを漂わすエンディングはやはり韓流なのだろうか。

プロデューサーズ

Prod 落ち目のプロデューサーのマックスと、さえない会計士のレオ。二人は出資者からの資金を持ち逃げするために、上演打ち切りをねらって最低最悪のミュージカルを作ろうと奔走する。しかし、それは思わぬ結果をもたらすことに・・・

 トニー賞12部門受賞のブロードウェイ・ミュージカルを同じキャストで映画化したミュージカル映画である。近頃よくあるパターンだが、映画ならではのスケールの広がりや演出の違いを比較したいところだ。そうは言ってもブロードウェイのミュージカルを観たことが無いのでピンとこないのだが・・。それでも雰囲気だけは味わえるし、映画館で見られるのはお徳(?)といえるのかな。それゆえに、映画作品としてどう見せるのか注目したい。オリジナルのキャストに加えて、華を添えるユマ・サーマンや、ウィル・フェレルとのかけあいは面白い。もとのミュージカルに詳しければより楽しめると思えるが、やはり伝わらない面白さなのだ。もっともこのミュージカルもオリジナルは1968年の映画であるという、よい作品はいつの時代、どの舞台でもよいということか。それにしても、内容はコメディで少々下品な下ネタも満載。けっして綺麗なストーリーではないのだが・・・楽しいステージではある。微妙な笑いを誘うが、受け止め方しだいといったところだろう。
 物語は劇中で演じるミュージカル「春の日のヒトラー」を上演させるまでのドタバタ劇である。こちらの舞台も楽しみたいと思えるが、足早な展開が物足りない。斬新な舞台は風刺的と絶賛されることになるのだが、それにもましてマックスとレオのストーリーは、どこか身近な話題のようで風刺的ではないだろうか。夢の為に会社を飛び出したレオ。そして、落ち目のマックスが最悪をプロデュースしたはずが反対の結果をもたらした。駄目なときは違ったアプローチが必要だってことかな、よくあることかも。最後は友情といったところで泣かせるが、微妙に笑えるあたりコメディであって軽快なメロディとともに印象的である。
「プロデューサーになりたい」
レオの夢は叶うのだが、純粋な思いが報われるあたり、ちょっぴりよい話である。

ファイヤーウォール

Fire 妻子を持つ良き父親のジャックは、銀行のセキュリティ・システムの専門家である。そんな幸せな家庭を事件が襲う。家族が強盗グループに誘拐されたのだ。要求は家族と引き換えに、自身が考案したセキュリティを破って1億ドルを盗みだすこと。決死の駆け引きをすることに・・

 すべてがネットワークで繋がった社会のシステム。銀行の取引もデータのやり取りにすぎない。これからは銀行強盗もハイテク化、サイバー化するのだろうか。情報化社会の一見危うい部分も垣間見るが、ジャックのようなエンジニアによってシステムは守られているのだ。しかし、高度化したシステムにおいても、それを扱うのは人の手が必要なわけでこういった事件が起こらないともかぎらない。むしろ起こりうる事件かもしれない。
 エンジニアであるジャックを、久しぶりに主演のハリソン・フォードが演じている。実年齢からいったら少々設定にずれがあると思うのだが、年齢を感じさせないアクションありの演技はまだまだ健在だ。いつも追い詰められた男の役だが、ここでのジャックは家族の為、自らも犯人に仕立てられながらも立ち向かう。なんか以前の作品をいろいろと思い起こさせる。一方で強盗コックスの計画も用意周到で、ジャックや家族のデータ、行動のすべてを監視している。改めて個人情報の重要さや、ネットワークの危うさを見るようだ。そして自らの証拠を消し、セキュリティも万全(?)。犯人がジャックであるような偽装まで・・・。そんな犯人たちと出し抜こうとするジャックの駆け引きは、最後には立場が逆転するあたり面白い。
 家族の絆といったテーマとしてみれば、必死に助けようと奔走する父親の姿。それだけの作品でもありシンプルなストーリーだ。すこし反抗気味の娘との関係も垣間見えたが、絆を取り戻すことができたのだろう。仕事としてシステムのセキュリティを守ってきた男が、家族を守るためセキュリティを破る。強い父親、必死の父親をとおして、守るべき大切な家族といったものが示される。冷酷な犯人とは対象的であって、家族のセキュリティといったものを考えさせられるかもしれない。

サウンド・オブ・サンダー

Soundof 西暦2055年の世界では、タイムトラベルが可能になり「白亜紀ハンティング・ツアー」が人気を博していた。しかし、完璧なはずのプランで事故が起きた。ツアー客が何かを持ち帰ったことで現代の生態系に異変を起こしたのだ。過去から迫る別の進化の波に、人類は滅亡の危機に・・。

 原作はかなり昔のSF小説で、レイ・ブラッドベリの「いかずちの音」である。タイムトラベルについてはすでに多くの作品で取り上げられた題材だが、過去の些細な出来事がもたらす未来への大きな変化について語られているのは図らずも教訓めいている。
緻密に計算され、過去への干渉はないはずのタイムトラベル。しかし事故は起きてしまう。それは昨今の大きな事故に見る、ハイテクを扱うにはずさんな管理であり、利益重視の会社経営だったりするのだろう。描かれるのは、ほんの些細な行為が波紋を広げてゆくというバタフライ・エフェクト(そのまんまだが・・)。「風が吹けば桶屋が儲かる」といった連鎖が6500万年の進化を変えてしまう。どうしてそうなるのか、そのあたりの理屈もほしいのだがあいまいだ。タイムトラベルについても、なぜ毎回、同じ時代の同じ場所に行けるのか?人であふれてしまうのではないか。よく考えると矛盾した部分もあるのだが、少々サイエンスな部分の設定はあまいようで冷めた見方になってしまった。まあ、そこはSFなのであまり考えずに楽しむほうがよさそうだ。映像としては面白く、パニック映画のような展開でもある。どこかで見たような映像だが・・・クリーチャー、いや別の進化をした生物と人間の攻防といった映像は楽しめる。
 物語は博士でもある添乗員のトラヴィスが、なんとか過去を修正しようと試みる。過去への干渉を防ぎ、現代の異変はなかったことに。それではいずれ同じ過ちを繰り返すことになるのだろう。もっとも、ここで描かれる2055年の世界では野生動物は絶滅しているらしい。数十年後の話なのだが、それは現在の人類がしたことの結果ということなのかも。すべての行為は何らかの影響を与えているということ。未来の為には現在の生態系に干渉しないこと(すでに・・・)あまり描かれてはいないが、そういった部分は社会的なテーマとして伝えてほしい。過去は変えられないが、今を変えることはできるのだから。

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