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February 2006

ナルニア国物語 /第一章 ライオンと魔女

narnia_02 第2次大戦下のイギリス。ペベンシー家の4人兄妹は空襲を逃れ、田舎に住む教授の家に疎開していた。ある日、末っ子のルーシーが空き部屋にある古い衣装ダンスに隠れると、そこは別世界へ通じていた。魔女によって支配され100年の冬に凍える国《ナルニア》である。

 C・S・ルイスの有名なファンタジー小説の映画化である。原作は7巻からなるところ、今作品では第一巻「ライオンと魔女」を映像化している。ナルニアの誕生から消滅までを描くシリーズでは途中のエピソードになっていて戸惑うところ、扉の向こうの別世界“ナルニア”への冒険の始まりにはふさわしい。いきなり別世界へ行ったペベンシー兄妹と同様の驚きを体験できるのだろう。もちろん、この一章でも完結した作品として見られるが、シリーズを通した壮大な作品でもある。今作品では多くの疑問も見つかるはず、ナルニアの世界とテーマを理解するには後のシリーズを観る(読む)しかないのだろう。
 物語として面白いのは、現代(1940年)と行き来できるパラレルワールドの存在。身近にある別世界の入り口はタンスというのも意味深に思える。そしてファンタジーの世界ゆえに何故?といってはいけないが、登場するのは魔女にライオン王に神話の生き物etc.・・・。そこは現在の映像技術のなせるワザ、ファンタジーの世界を余すことなく再現している。それにしても、原作は児童書というものの、書かれた時代背景を反映してか、戦争の現実を暗に伝えているのではないだろうか。白い魔女の恐怖による支配、そして世界は冬に凍える。物語は疎開していた兄妹が別世界でも戦争に巻き込まれてゆく、しかも勝利の行方を左右するのである。善と悪のせめぎあう世界を救うのは子供たちであり、そんな未来を物語に託しているのかもしれない。
 やがて、兄妹はもとの世界へ戻ることになるが、ナルニアでの十数年は一瞬の出来事である。《ナルニア》はいつでも行けるわけでもなく子供にしか行けない世界、それは大人になって失くしてしまったものかもしれない。子供だましなんて思わずに見てみれば、子供心に帰れるはず。もしや、タンスの中を探してみれば、遠い思い出がみつかるかもしれませんね。

ナイト・オブ・ザ・スカイ

img_771985_25955636_01 航空ショーのさなかフランスの戦闘機が消えた・・。近くを飛行中のマルシェリとヴァロワが発見するも、突然の攻撃中止命令が伝えられる。しかしヴァロアの機がロックされ、攻撃される寸前でマルシェリは敵機を撃墜した。それは極秘任務中の自国の機体であったというのだが・・

 純粋にスカイアクションとしての作品は久しぶり、フランス映画としては目新しい。そして原作は30年も前のコミックだという。「大空の騎士」ということだが、現在において戦闘機のパイロットを騎士に見立てるのには時代が変わってしまった気もする。それでも劇中の飛行シーンに、マルシェリとヴァロワの飛ぶことへの憧れが伝わってくる、戦争の臭いはなく『TAXi』のジェラール・ピレス監督によるスピード感のある映像が爽快である。スカイアクションとしては、すでに昔の作品である「トップ・ガン」と比較されるところだが、ロックにのせたアクロバットとは対照に優雅な空中遊泳といったシーンが印象的。しかしコミックが原作ということもあって、物語はどこか唐突でまとまりきらない印象をうける。結局、テロとの戦いといったところに落ち着き、恋も友情もお色気(?)も中途半端だろうか。主演はブノワ・マジメルであり、キャリアのある役者に救われているようだ。とはいえ、CGですべて出来てしまう昨今において、実写の映像は見ごたえがある。リアルすぎて動きが感じられない部分もあるが、質感と細部のディテールは本物にはかなわない。そして映画では見ることの少ないフランスの戦闘機、ミラージュ2000が飛び回るのだから飛行機好きには楽しめるところだ。パリ市街を背景にしたドッグファイトも見どころである。本物の機体はやはりかっこいい。
 物語は兵器の売り込み合戦といった背景が描かれていて、本作品はフランス空軍の全面協力とのこと、本気で売り込む気なのでは・・・など思ってしまう。物語についての印象は薄いが、理屈は抜きに映像を楽しみたいところだ。

PROMISE

pro 戦乱の中、孤児となった少女・傾城は、この世のすべての男からの寵愛と、何不自由ない暮らしを女神・満神から約束された。決して真実の愛を得ることは出来ないという条件と引き換えに・・。将軍・光明。そして、奴隷として生きる男・昆崙。3人の出会いは運命を変えるのか・・。

 アジアのスターとスタッフが集結した作品。主な登場人物である無敵の将軍、光明を真田広之、俊足の奴隷、昆崙をチャン・ドンゴン、そして王妃・傾城をセシリア・チャンが演じる。各国のスターを集めた意味はあまりないようにも思えるが、3人の台詞に違和感はなく安心して見ていられる。描いているのは遥か昔の物語、神との約束といった神話のような世界であり、背景の幻想的な映像とあいまってファンタジーの世界を創り出す。そうはいってもかなり奇想天外な内容に理解し難いところかもしれない。映像としては最近の中国映画の流れでもあるワイヤーアクション、鮮やかな色彩、それにCGとすべてが盛り込まれている。ただし、映像や構成に少々雑な部分も目に付くのは惜しむところだ。
 この物語のキーになっているのは「約束」。登場する主な人物はなんらかの約束による宿命を負っている。すべては天によって定められたことなのだろうか。運命とは・・神との約束。女神・満身との約束は変えることができない。王妃となり何不自由ない暮らしを手に入れた傾城。伝説の甲冑を身につけることを許された負け知らずの光明。そして、何よりも速く駆けることができる昆崙。ある意味で物事を極めた者達だが、望むものを手に入れたかに思える傾城と光明にも満たされないものがある。それは“真実の愛”。得るにはすべてを投げ出すことも必要なのか・・。そう思って見れば恋物語としても見ることができるのだが、そもそも真実の愛を得ることができたのだろうか?考えれば難解に思える。さらに「約束」という部分で見れば、3人は何らかの約束を破っている。それは相手の運命をも変えてしまっているのかもしれない。やがて自らの運命にも影響を与えるのではないだろうか、決して戻ることはできないのである。そう見ればどこか教訓めいた作品である。

ジャーヘッド

jarhead 「ジャーヘッド」とは、お湯を入れるビンにたとえた海兵隊員の髪型。アンソニー・スオフォードもその一人。厳しい訓練の後、偵察狙撃隊のメンバーに選ばれた。1990年、イラクのクウェートに侵攻により、彼らはサウジアラビアへ派遣されることに・・・

 原作はアンソニー・スオフォードのベストセラー小説。湾岸戦争を実際に体験した本人の視点から描いた作品である。映画として戦争をテーマにした作品は数知れず、湾岸戦争を舞台にした作品も多いのだが、この作品に英雄はいない。地上戦開始から4日で終結した戦争である、主人公スオフォードは敵を殺していないのだ。これではストーリーに何の見せ場もないが、描かれている戦場の現実だけがどことなく滑稽にうつる。そして彼らを送る為の現実には恐ろしさを感じる。戦争当時は連日TVで報道されて知っているのだが、それは表向きの内容でしかなかったのだろう。そのとき現場では何が起きていたのか・・、これまで知られていない兵士の姿がよくわかる。物語はスオフォードと部隊の8人を描いているが、彼らは何のために戦うのか?そもそも何のために兵士になったのか?それぞれが語る動機も不純なのだ。派遣前の兵士としての訓練も異常、そして兵士たちも下品でかなりイカレている。砂漠の中、何ヶ月も訓練と待機するだけの日々に精神的にも消耗してゆく・・。もっとも戦争行為がイカレているともいえるのだが・・・。すべてがそんな兵士ばかりではないはずだが、多くの兵士にとって特別な意味はなかったという現実である。
 さいわい(?)スオフォードたちは、人を殺すことなく戦争は終わった・・・いや自ら引き金を引くことなく終わっただけで、結果として圧倒的な軍事力で片がついてしまった。むろん戦争で多くの犠牲者が出たことに変わりはない。彼らが手にした銃。使わぬなら持たなきゃいいのに・・・。戦うことだけを学び、前線に送られる彼らに政治的な駆け引きなど意味もなく、彼らの頭上を越えて終わってしまった戦争にやはり意味を見出せないのかも・・。彼らの頭を空っぽのジャーと皮肉るが、この戦争も空っぽのジャーではないだろうか。


ミュンヘン

mov204 1972年、ミュンヘン・オリンピック開催中に、パレスチナゲリラによるイスラエル選手団の襲撃事件が起きた。人質11人が死亡するという惨劇に、激怒した秘密情報部は暗殺チームによる報復を企てた。しかし、リーダーに選ばれたアヴナーは人を殺したことのない男だった・・・

 平和の祭典オリンピックでの惨劇、ミュンヘンでの事件のその後を描いた実話に基づく作品である。過去の話では終わらない現在にいたる報復の連鎖。社会の裏に暗躍する各国の諜報部員の存在など、決して絵空事ではない現実の物語なのである。
物語はチームのリーダーとなったアヴナーをとおして描かれる。メンバーには爆弾に文書偽造、後始末に車輌など各方面のスペシャリスト4人。しかし、アヴナーは秘密情報部員であるが妻子を持つ普通の男であり、人を殺すことなど想像もしなかったはず。では、なぜ依頼を受けたのだろうか?愛国心というだけでは言葉がたりない。当事国でなければ理解できないが、家族のため、未来のため正しいと信じていたに違いない。戸惑いながらもリストの人物を一人づつ殺してゆく。恐ろしいのは、やがて殺すことへの抵抗もなくなってゆくこと。本来の目的を逸脱してゆくことではないのだろうか。救われるのはアヴナーが自らの行為に疑問を抱いていたこと。いつ終わるのかわからない任務、やがてチームのメンバーも命を落とし精神的にも追い込まれてゆく。相手を殺しても、次は自分や家族が報復されるのではないかと・・。やっていることは相手と同じことなのだ。報復行為がさらなる報復を生み出している現実。互いの報復による犠牲者は11人より遥かに多い。これでは憎悪は増すばかり、悪しき連鎖なのである。描かれているのは個人の葛藤だが、同時に国家というものが何か、大儀とは・・・その意味を考えさせられる。アヴナーが組織から与えられたミュンヘン事件の首謀者という11人のリスト、その真偽さえわからない。それは一人の暗殺者、一人の人間にとって何の意味があるのだろうか。もしも殺すことが一人の人間にでも意味のあるものならば、悲劇に終わりはないのかもしれない。平和に見える世界の狭間で、見えない戦争が起きているという現実に、平和が手に届きそうで遠い存在に感じられる。

オリバー・ツイスト

ori 19世紀の英国。孤児である少年オリバーは、9歳になり救貧院で麻屑作りの労働をすることに。しかし、与えられる食事はわずか。やがて救貧院からも追い出され、引き取られた先でも人としての扱いをされぬ日々であった。ある日、家を飛び出し大都会ロンドンへと向うのだが・・・

 原作はチャールズ・ディケンズの同名小説であり、過去に幾度も映像化された作品である。今作品では「戦場のピアニスト」のロマン・ポランスキー監督により、当時の階級制や差別など社会の不条理を無垢な少年オリバーをとおして描いている。客観的な視点は風刺的でもあり考えさせられる。
 劇中の登場人物は、賢く生き抜く人もいれば、ずる賢い人もいる。救貧院では僅かな食事だけで労働させる院長や、オリバーを引き取った葬儀屋も弱者を利用するだけの大人たちなのだ。表向きは善人だが、していることは人として許しがたい。やがてオリバーは幸福を夢見てロンドンへ向かうが、たどり着いても人の行きかう街角で力尽きてしまった。それでも助ける者はいない。そんななか声をかけたのは妙な格好の少年ドジャー、ただで泊まれるところがあるという。そこには主のフェイギンと大勢の少年たちがいた。温かいもてなしに初めて仲間と呼べる人と出会う。しかし、彼らがスリ集団であったことを後に知るのだが・・。フェイギンは身寄りのない子供たちを使って盗みをさせる。それで救われている子供たちだが、社会的には悪人である。それでは孤児の労働で富を得る人たちは・・・。それも悪ではないだろうか。殺伐とした時代、矛盾した社会である。そんな大人たちばかりと思っていたら、ロンドンへの道中で救ってくれた老人や、警察につかまったオリバーを助けてくれた紳士がいる。助けを求める者、手を差し伸べる者、すべてはめぐり合わせなのだろうか。うまくかみ合わない社会的な善と人の良心である。
 はたして善悪を決めるのは何だろう? 純粋な心のオリバーから見たら、いったい何が正しいのか。描かれているのは19世紀の話なのだが・・現代の社会にもだぶって見える。そう思えば意義深い作品である。物語の最後で、刑を待つフェイギンの為に祈るオリバーに釈然としない世の中を垣間見るようだ。

フライトプラン

flight_plan 突然の夫の死に、カイルと娘のジュリアは、まだ現実として受け止めることができない。棺と共にニューヨークへと向かう旅の途中であった。機内で眠り込んだカイルが目を覚ましたとき、ジュリアの姿がない。目撃者もなく搭乗記録さえない・・。誘拐なのか?それとも・・

 密室での失踪、それはミステリーの定番だが舞台となるのは最新鋭の旅客機である。近く導入されるであろう最大級の旅客機がモデルと思われる、豪華な装備にハイテク操縦システム、そして大量の荷物を搭載できるらしい。今作では棺といった特殊な荷物も運べるのがミソである。飛行中の旅客機という完全な密室が舞台であって、ありえない状況はどういった結末を見せてくれるのか期待してしまうものだ。
 物語は航空機設計士であったカイル(ジョディ・フォスター)が、機内で失踪した娘を探すのだが、目撃者はいない。いくら巨大な機体でも密室のはず。しかし、くまなく捜索するものの見つけられない。しかも搭乗記録さえない・・、追い討ちをかけるように記録では夫と共に亡くなっているというのだ。娘の存在が消えてしまった。すべてはカイルの妄想なのか?これで終わったら、どこかで観たことのあるサイコスリラーの展開だ。でもよく考えれば何かおかしい・・・誰かが嘘をついている。いかにもといった乗客、乗員すべてが怪しく思える。誘拐なのか・・しかし、理由は見つからない。カイルは航空機設計士の知識を駆使して機内を探すのだが、ついにはエアマーシャルに逮捕されてしまう。ここから後半は強い母親の活躍をみせる。
 全てが密室での出来事ゆえに少々息苦しい感じがするが、見方を変えれば最新鋭の旅客機、この空間は現代社会の縮図のようでもある。狭い空間でも他人を気にせず快適に過ごす人々。そして隣の席のことなど無関心なのだ。さらにデータで管理される社会の盲点といえるのかも、記録がなければ存在さえなくなってしまう。物語は二転三転しているが、最初からジュリアの存在を見る側も確信していてはスリルを感じないかも。よく考えれば、確認方法はあったと思うのだが・・失意の中での出来事ということにしておこう。母親としての執念、強さをみせるカイルの活躍を応援したい。意外な結末に発展するあたり少々つっこみたくもなるが、緻密なフライトプランも強い母親の愛には想定外なのである。

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