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September 2005

ルパン

a_lupin 裏家業が泥棒だった父、そして謎の惨殺。忌まわしい幼少期をおくったアルセーヌ・ルパン。やがて大人になった彼も華麗な泥棒になっていた。そして偶然にも幼馴染のクラリスとの再会、カリオストロ伯爵夫人を助けたことから王家の財宝を巡る陰謀に巻き込まれてゆく・・・。

 ルパンといえばTVアニメ「ルパン三世」のイメージ強いが、こちらが本家アルセーヌ・ルパン。たしかに変装の名人で女好き、長いもみあげ(?)といった基本的なキャラは同じであるからなじみやすい。ルパンを演じるのはロマン・デュリス、自由奔放な紳士が似合っている。物語の鍵を握る伯爵夫人をクリスティン・スコット・トーマスが演じていて、100年も若さを保っているという妖しさ、年齢不詳の美しさを醸し出す。そして清純なクラリス役はエヴァ・グリーンである。今年は怪盗紳士アルセ-ヌ・ルパンが誕生して100年にあたるらしいが、フランス映画としての「ルパン」には意味があるのだろう。本作はシリーズ中の「カリオストロ伯爵夫人」をベースに、ルパンの幼少期なども描かれていてシリーズの集大成ともいえる。物語は王家の財宝の在りかを示すという3本の十字架を巡っての争奪戦。よくある泥棒の話ではあるが、父と子の確執さらに息子まで親子三代にわたるルパン家のストーリーも描かれる。そしてルパンを巡っての愛想劇も絡んでいて、さまざまな人間模様が交錯していく。それゆえに、この作品のテーマが何なのか分かりにくい部分だろう。それはいくつかの原作からかいつまんだストーリーの為か、伯爵夫人の魔性が強調されていてその行く末も気になるところだ。曖昧なエンディングもどう見るべきだろう・・・。古典的なストーリーがキャスティングのよさと現在の映像技術に救われているようにも感じる。
 観終わって思うのは、この物語が描いたものは何か?ルパンの活躍を描いているのはもちろんだが、物語の中心は登場する女性達ではないだろうか。それは、父の死の真相を知っていたであろう母。ルパンの子供を身ごもり違う生き方を迫るクラリス。薬によって虜にしようとする伯爵夫人。どうもルパンが盗んだのは“女性の心”ともいえるが、それでも自由奔放に生きる姿は束縛から必死に逃げているようにも見える。けして自分の心は盗まれないように・・・。

シンデレラマン

cinderellaman 恐慌によって人々が希望を失っていた時代。かつての栄光から滑り落ち、ライセンスも剥奪されたボクサー“ジム・ブラドック”。家族を養うこともままならない日々である。しかし、チャンスは訪れた。打ちのめされる為に組まれた試合だったが、その勝利は再びボクサーとしての道を開くことに・・・。

 世界恐慌によって貧困にあえぐ人々に、“シンデレラマン”と呼ばれ希望となった“ジム・ブラドック”。伝説となった実在のボクサーを描いたヒューマンストーリーである。彼を演じるのはラッセル・クロウ。殴られるのが似合う!といっては失礼かな「グラディエーター」の印象も強いが、戦う男が似合うのである。ボクサーが夢を叶えるストーリーだが、ここで描かれるのはロッキーのようなアメリカンドリームではない。ジムは家族の為、今日を生きる為に闘っているのである。配給にもありつけない恐慌時代の生活がひしひしと伝わり、必死に生きる姿は実話が基になっているだけに共感できる。仕事もない世の中であり、名誉や誇りといったきれい事ではない、彼にとってはボクシングが生きる手段、人生を変える手段なのである。すでに盛りを過ぎたボクサーが家族の為、怪我を圧して闘い、わずかなファイトマネーを持ち帰る。家族を守ること、決して逃げないこと、あきらめないこと、そんな思いが奇跡を起す。ジムの本当の闘いはボクシングではなかったのだろう。それは敗色濃厚なタイトルマッチを「なぜ戦うのか」の問いに「ミルクの為」と答えるジム。そんな人柄が人々の希望となったのは想像に難しくはない。
 一方、貧しい人々の希望とは裏腹に、試合にお金払って見ている観客もいるのだ。この構図は恐慌とはいえすべてが貧しいわけではないということ。人生における勝者と敗者なのか、釈然としないものを感じてしまう。ジムがチャンピオンとなったその後のエピソードがエンドで流れるが、ジムはあくまでも家族の為に生き、人々の為に貢献したとのこと。それこそ真のアメリカンドリームであろう。はたして今日は恵まれた時代なのだろうか?希望を持てない時代・・とも言われるがそれでも生きては行ける。このストーリーは奇跡のような話であるが、未来を決めたのは自らの意思である。それは偶然ではなく必然であったと思いたい。

頭文字D THE MOVIE

initial_d ごく普通の高校生である藤原拓海は、日課である豆腐の配達を手伝ううちに神業のようなドライビングテクニックを身につけていた。ある日、思わぬことから峠の走り屋たちとのバトルへと巻き込まれ、その才能に目覚めてゆく。
 
 人気コミックからアニメ、さらには実写へと進化するこの作品。表現の場は違うのだが、程よい笑いと熱い走りを織り交ぜながら若者の青春を描く。今回の実写化では先のアニメ作品との違いも注目したい。でも・・・、なぜか香港映画なのである。香港映画でなじみの役者が演じる日本人にはどこか笑ってしまう。原作へのこだわりも感じられるし舞台も日本なのだから、役者が日本人でないのは惜しむべきところだろう。原作のイメージを再現できるのならばそれも仕方ないが、やはり微妙に違和感を覚えるところだ。それは原作の捕らえ方の違いなのだろうか、キャラの設定には「そりゃ違うだろー」と突っ込みたくもなる。文太はそこまで駄目おやじではないし、一樹も香港のチンピラではないと思うのだが・・・・。まぁ、それは映画化ではよくあることだから、違う部分をあえて楽しんでみたい。そしてコミックは現在進行形ゆえに、エンディングはどうなるのか注目したのだが無難にまとまっている。しかし、“茂木なつき”との関係がとぎれたままというのは続編があるのかな?それとも、重要ではなかったのだろうか。コミックではバトルの合間に挿入されるドラマ部分は、若者の青春と成長を描いていて重要な部分だと思うのだが、そのあたり繊細に描かれていないのは物足りなさが残る。ただし、コミックでも語られていない母親や文太の過去に少しだけ触れているのは興味深いところだ。
 一方でバトルシーンは、CGアニメとも違った実写の迫力を見せる。映画作品ならでわのカメラワークとアングルでスピード感のある映像は爽快。こういったシーンは邦画に無い新鮮な映像である。そしてコミックでのシーンをイメージ通りに再現しているのには感心した。“溝落とし”も再現されていて納得のバトルシーンになっている。原作と比べると作品としてはすべてが微妙な味わいでコースアウト寸前にも見えるが、基本のラインを外さないのがこれもまた微妙な面白さだろうか。

チャーリーとチョコレート工場

charlie_c 世界中で売れているウィリー・ウォンカのチョコレート。しかし、その工場には15年も人の出入りがないという謎を秘めていた。ある日、経営者ウィリー・ウォンカは宣言した。ウォンカの板チョコに入っている[ゴールデン・チケット]を引き当てた5人の子供を工場に招待すると・・。

 ティム・バートン監督が描く不思議な、そしてどことなく不気味な雰囲気のチョコレート工場が舞台である。さらに風変わりな経営者ウィリー・ウォンカを演じるのはジョニー・デップ。バートン監督とのコンビは話題になるが、いつもながら独特の世界をかもし出している。物語はチケットの争奪戦で始まるが、現実にありそうで笑ってしまう。そして幸運にも最後のチケットを手に入れたのは貧しい家のチャーリーである。チャーリーにとってチョコレート工場は夢の世界。チョコレートの滝にお菓子でできた木々や草花。ここで描かれているのはそういった子供のころに夢見た世界なのである。だからといって子供向けの作品かと思いきや、意外にも社会を風刺したブラックユーモアをみせてくれる。工場に招かれたチャーリー以外の4人の子供達はふてぶてしいガキ(お子様)である。エゴや欲望むき出しで、子供というよりも嫌な大人を映しているようだ。夢見ることを忘れた人たちかも・・。結局、勝手な行動で痛いしっぺ返しを受けてしまうわけだが、シュールな演出に笑えるような笑えないような・・。対して子供のように無邪気なウォンカは夢のような?!発明をする天才。素直に共感するのはチャーリーだけであり、やはり風刺的な感じだ。子供が観ても楽しめる作品ではあるが、どうも描かれているのはチョコレートの話ではなく、人の幸せといったテーマを暗に描いているのではないだろうか。
 チョコレートは大好きだが、家が貧しいチャーリーにとっては誕生日の楽しみ。それでも家族との生活は満ち足りたものだ。対してウィリー・ウォンカの理想の世界には何かが足りない。本当に大切な物とは・・。邪魔な物すべてを排除して理想の世界を作っても、それで幸せなのか?ウォンカを勘当した父親と変わらないではないか。わがままな4人の子供たちと変わらないのではないだろうか。ウォンカはチャーリーによって大切なものに気付くあたり、ほのぼのとしていい話である。でも、チャーリーは拾ったお金でチョコを買っちゃいましたね。何か将来に影を落としていますが・・・・。描かれているのは抽象的な世界だから、観る人によっていろいろと解釈はできそうな作品である。決して同じでないチョコレートの味のように・・・。

Be Cool

becool 映画プロデューサーのチリ・パーマーはこの業界に嫌気がさしていた。そんなある日、友人トミーから、リンダという無名のシンガーを売り出す話を持ちかけられる。しかし、トミーはマフィアに殺されてしまった。チリは未亡人となったイーディと共に、持ち前の交渉術と行動力で売り出しにかかる。

 前作「ゲット・ショーティ」では取立て屋から映画プロデューサーへと転身したチリ・パーマー。今作では音楽業界への進出を図る。掴み所のないキャラであり、常にクールなチリを演じているのはジョン・トラボルタ。そして彼と組むのはユマ・サーマンである。「パルプ・フィクション」以来の共演であり、劇中では珍しい二人のダンスシーンも見られる。古いファンであれば昔の作品を思い起こすかもしれないが、今となっては知る人も少ないか・・。その他、濃いキャラの面々がただならぬ展開を予感させるが、ストーリーはいたってシンプルなのである。
 見所は、実際に歌手であるクリスティーナ・ミリアンの演じる無名のシンガー“リンダ・ムーン”の歌声。そしてロックバンド“エアロスミス”のスティーヴン・タイラーの共演など往年のスター(今でもスターか・・・)を観ることができるのもこの作品ならでは。洋楽ファンなら楽しめる部分は多いはず。さらにプロレスラーのザ・ロックが、俳優志望のゲイとしてコミカルな演技で笑わせる。しかし、その業界に詳しくなければなんてことのない作品かもしれない。よくある有名人の総出演的作品ともとれる。ストーリーとしての面白さは少ないが個性的なキャラが巻き起こす騒動がコミカルであり、時にブラックユーモアで笑わせる。そんな中でもチリは如何なる時もクール。ここでの登場人物は皆クールを極める。皆かなり年配(?)いや大人なのだが、クールな世の中へのアンチテーゼか、それとも元祖クールとでも言うのだろうか。熱い音楽、情熱とは対照的だ。各界の著名人が出演するといった面白さがあるが、興味のない人にとっては単なるドタバタとアメリカンジョークで面白さは感じられないかも・・・。やはり観る側も余裕を持ってクールに観たい。大人のエンタメ作品である。

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